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2011.06.22

 

<オンラインショップを活用した被災地の応援>

ちょっと提案です。

被災地で商売をなさっている方々も多いと思います。
ネット上でオンラインショップを開いているお店もあると思います。
現地に足を運べない人でも、
ネットで買い物ならできる人もあると思います。

被災地では観光客も激減し、商売が成り立たない人も多いように
思います。ネットショップなら、欲しいものを自宅に居ながらにして
買い物できます。
そんな応援の仕方もあると思います。

働きたいのに働けない、それはとても辛いことだと思います。
そういった面で、必ずしも行政の力を頼らずにできることの一つとして、
ネットショップを利用した被災地の商店等の応援を提案いたします。

また、せっかくのネット社会です。
各自のネットワークをつなげあって、被災地にあるショップの
情報交換をしてはどうでしょうか?
各自のニーズにぴったりあう情報交換が可能ではないでしょうか?

※福島にあるサーフィン、スノーボード、スケート関係のお店の
オンラインショップのご紹介

SHREDDER
http://shredder4s.shop-pro.jp/

Message 3

2011.07.07

 

普段、部屋にこもりがちな生活をしていると旅というものがことさら必要になったりします。
旅の楽しみは「見ること」ではないでしょうか?
なにも考えず、ただ見る。そして見たものに対して率直に行動する。これは旅に限らず、日常でも仕事の面でも大事な原則です。
しかし、旅の面白いのは、そんな大事な原則を再確認できること。なにせ、そうできないときの旅ほど無意味でつまらないものはないのですから。
気になる物があれば、それを追いかけてどこまでも行けばいい。
その先になにがあるかはわからないし、それだから思ってもみなかったことに遭遇する。
それが旅のたのしさ。
目の前で起こることに率直に行動すれば、はじめに思い描いた目的地にたどり着くのはなかば不可能です。
普段の仕事などでは、ときには予定どおりに事を進めなくてはなりませんし、周りにも同調しなくてはいけませんので、思い描いた目的地に着くことが重要であることもあると思います。
社会のルールにどっぷりと暮らしていると、行き当たりばったりの行動が非常識に写り、そういう行動を避けるようになり、否定したくもなる。
けれど、それはときに生活の新鮮さを奪うし、固定観念となって自由な発想を失います。
旅は一人旅がいいというのは、まったく無計画に非社会的な存在として振る舞える機会が得られるからなのでしょう。

そんなわけで、僕は旅に行くのであって、中でも電車の旅、ローカル線の旅が好きなのであって、今回は水郡線という路線に出かけることにしました。
水郡線というのは茨城県水戸と福島県郡山を結ぶ単線のローカル線です。水戸から北上するかたちで出発すると、景色はすぐに自然いっぱいの里山風景になります。
実は僕は今回、ひとつ失敗をしました。前もって計画を立ててしまっていました。つまり、この水郡線の半ばあたり、茨城と福島の県境にある「袋田の滝」を目的地にしていたのです。
それで、僕は水戸を出てすぐに現れた風景の中に急遽、途中下車するという選択をせずに、予定どおり袋田駅まで、目的地に邁進したのでした。

袋田の滝へは、水郡線袋田駅を下車して4キロほど歩きます。
その途中の景色も自分には面白く、寄り道をしながら、景色を見ながら行くわけですから、実際にはその先の目的地は別になんであってもかまいません。
ぼんやりとした目安程度の目的地なんですが、それでも予想していたものと違っていたりすると、やっぱり失敗したなあと思う。
まあ結局は失敗などないし、気にもしないのだけど。

僕は、滝の名所に面白いところはない、という持論を忘れていたのでした。
なぜ滝の名所に面白いところがないかというと、滝の名所は有名なだけに、決まって観光名所として管理され、土産物屋が並ぶのです。
平日などに行くとその「観光名所」がやけに閑散としていて、けだるい感じのカップル(老若さまざま)だけがぽつぽつといて、独特の雰囲気を醸します。
今回の袋田の滝がまさにそうでした。大きな滝の正面に展望台が正対していてなんだか馬鹿らしさがあって、装飾めいたなぜかヨーロッパ調の照明器具なんかが哀愁を漂わせます。
展望台へは少し長いトンネルをくぐって行くのですが、その途中でおかしな光景に出くわします。
真っ暗なトンネルに蛍光灯に照らされた植物が天井に姿を現します。見れば作り物のグリーン。なぜに?と思っているとその先になぜか観音像が安置されていました。
作り物のグリーンが蛍光灯にライトアップされた薄暗いトンネルの中に突如現れる観音像。
その先に展望台があてがわれた巨大な滝。滝のそばには小さな神社まで備え付けてありました。それこそカップルで行くなら笑える、ほとんど秘宝館なみのシチュエーション。
僕が失敗したなと思ったのは、ここに一人で来てしまったことなのでした。

こんなことなら途中の景色につられて二駅分ほど歩けばよかったよ、なんて思ったりしながら、やっぱり旅は計画しちゃいかんねなどと思いながら、
駅近くの寂れた好みの民宿で宿をとって、近くの川で鮎釣りしている人をぼーっと眺めながらビール飲んで、温泉入ってそうそうに寝たのでした。

次の日は早朝から歩いて、隣の駅をめざします。この辺りの山の風景はどこか関西の山の風景に似ています。竹が多いのが一番の原因な気がします。
山もなだらかで優しい印象の山並みです。杉や檜の植林が比較的少なめで、雑木林の山がきれいです。
緑がきれいなこの季節、田植えが済んだ田んぼの緑も目に鮮やかでありました。
どこに行っても、景色の特質と土地の人の気質は似通ったところがあります。今回とくに感じたのは、各戸の家まわりがとても整頓されていてうつくしいことでした。
そういうところは村の歴史が古いような気がします。そしてそういう土地柄では山も雑然とせずに整っているように思います。

途中、小学生の登校に出くわし、彼らと連なって街中に入っていきます。
角を曲がった先に突然現れた古い商店街の通りがやけに華やか。
なぜかと思えば、もうすぐ七夕であって、その飾りがこの古びた商店街を彩っていたのであって、それと小学生の登校風景が合わさって、なにやら夢の中のような光景。
桃源郷というとほんとはもっと派手なものかもしれませんが、自分の中での桃源郷というなら、こういう幻みたいな偶然見かけた光景なのでした。

駅に到着して、とりあえず郡山に向かおうと思った僕は、次の電車までの一時間ほどをぼーっと駅前のロータリーで坐って過ごします。
駅に送り迎えにくる車がちらほら、駅から通学の中高生や、おばあちゃんたちがバスを待っていたりして、強く生活感。
僕の座っていたベンチの後ろでは、女子高生が朝から恋愛話をしていて、この年頃っていえばそれは最重要案件であって真剣であってリアル。
一人の女子高生がロータリーに止まった白い軽の弱冠カスタムされた車に乗りこみました。運転席には頭が茶髪にカスタムされた男。朝からどこへ?なシチュエーションにややドキドキ感。

そんなこんなで電車に乗ります。
電車といっても正確にはディーゼル車であって、二両の小さな車体が山間を走る姿は、ときには絵になる田舎風景です。
途中でアナウンスもなにもないまま、一時間半ほど止まってしまいましたが、前方で前日の大雨による土砂崩れが原因のようです。
何人かの若い女性は電車を降りてどこかへ消えていきましたが、タクシーでも呼ぶんでしょうか?まわりはバスすらないような山の中です。
さすがにそういった目的意識のある乗客もいるわけですが、残りのほとんどの人はさして文句の表情を浮かべるでもなく呆然と時を過ごしていて、自分もその一人であって、それこそ田舎風景だなあと思ったりします。

郡山に着くと、震災被害はどんなものか、などとあらためて辺りをきよろきょろと探訪します。
途中の車窓からも崖崩れ、崩れた屋根などはたくさん見かけましたが、都市部に来ると、さらにその他の震災の証拠を見つけたくなるのはなぜでしょうか?
街の人の顔色などもそういう意味で気になります。
駅前の大通りを挟んだビルはいくらかシャッターの閉まったままのところがあり、銀行かなにかそういった類の店舗もあったように思います。
証拠写真を携帯で撮ろうとして、なにか寒い空気が自分の内に流れました。
物見遊山な自分を恥じて、というよりも、どこか生真面目に感じようとする自分に寒々しいものを感じました。

郡山をあとにして、今度は常磐東線に乗ります。
電車の乗客というのはたいがいどこでも学生と女性と老人、それに少しの旅行者という感じです。
外の景色を眺めたり、そういう乗客はなんとなく観察したりしながら、山の中の駅で途中下車。
都市部を歩くより山の中を歩く方が好きかもしれません。街より山の方が人目を気にせずあたりをジロジロ観察できるからかもしれません。
それにしても、自然の景色の方がシンプルで、いろいろな発見があるのはなぜでしょう?

一駅だけ歩くつもりが、なぜか駅を見過ごして二駅分歩いてしまい、おまけにその二駅分が峠を挟んだ長距離コースであって、へとへと。
カーブを切りながらどこまでもつづく峠道。いつ着くのやら見当もつかずに、だんだんと足が疲れてくると、ゴールがほんとうにあるのやら分からなくなってきて不安。
なんだか自分の人生もこんな感じ?などと馬鹿な妄想をしたりして。
思いがけずに突然現れたゴール(駅)はあっけなくもあり、到着したと同時に現れた電車に出来すぎな感もありつつ、なぜか怪訝な気分になりながら乗り込みます。
薄闇になってきた外の景色は眺めながら、なぜか夢見心地の不思議な気分におちいって、こういう気分もなにが原因なのだかよくわかりません。

夜になって、終点のいわきに到着。
とりあえず駅前の街を一周して街の雰囲気をたしかめて、中華屋のビールで遅めの晩飯。その後、どうしようかなあと思いあぐねながら、バーにでも行ってみようと思い物色します。
一杯で出るつもりが、結局お店の人によくしてもらって、朝の始発まで付き合ってもらったのでした。
客が自分と常連の人だけになると、朝飯がわりのスナックを食べながら、窓の外は今日も良い天気になりそうな朝の空。
「今朝なんか、海いきたいなあ」なんて言ってる店の人と常連さんはサーフィンの話をしているのであって、漂流物が危なすぎる海が残念なのでありました。

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福島の山にて思ったこと

2011.10.29

 

九月の半ばに福島県川内村、原発30キロ圏内の山に行きました。 DIY的なハードコア音楽イベントに仲間が参加するので随行したのですが、自分は主に山にいました。 もともと山育ちのせいもあってか、意識してでもないのですが、行き詰まったりすると自然と山に向かったりします。

自然というのはシンプルな構造です。
説明が抽象的になってしまうのですが、自然は個々の因果関係がはっきりとしていて、しかもその個の単位ごとについて、どこまでも極小に近づくことができ、またマクロに視点を移しても、構造がシンプルなだけに事象の連なり、因果関係が確認しやすい。
要するに”世界がつながっている”ことを比較的容易に確認することができます。

シンプルといっても単純という意味合いとは少し違う。
例えば都市の場合、個々の因果関係は目に映りにくい。複雑に絡み合う社会的、人工的なルールが存在していて、そのルールは不可視なことが多い。具体的にいえばコンクリートの壁。コンクリートの壁に対してミクロな視点を近づけていっても、すぐに行き止まってしまう感覚がある。構造と成り立ちは情報として理解していてもコンクリート自体は視覚的に平面でのっぺらぼう。構造の因果関係は実は確認しづらい。道路標識などにしても、そのルールを把握していれば平明ですが、そのルールを知らなければまず理解できない。

それに比べると、山には森があり木があり葉があり葉脈があり、さらに言えばそこに虫が這っている。構造が視覚の範囲内でどこまでもクローズアップでき、複雑な情報知識など抜きにしてきちんと意味や構造、因果関係が確かめられる。
そういった意味で自然はシンプルです。

前置きが長くなってしまいましたが、そんなわけで山に行くことは、自分の中では世界を基本に帰って確認する作業のように感じています。
とはいえ、実を言うと川内村で山を見たのは偶然でした。福島の現状を知りたいと思っての随行でしたが、はじめは人と会いたいと思っていました。山のことはあまり眼中になかった。
ところが地元の人とはそれほど巡り会えず、むしろ山の方に引き込まれていった。自分らしいことだなと思います。

そして見た山は、少しびっくりするほど鮮やかでした。
その辺りの山を見るのはこれが初めてのことであるので、その鮮明さを比較することはできません。場合によっては無意識に色眼鏡で見たせいかもしれません。だからはっきりとは言えませんが、それでも植生から生命力を強く感じました。
結論から言えば、それは地震のためだろうと思います。地面に根をはる植物が地震によって生命の危険を感じ、子孫を残すため普段よりも強く生きようとしている、と一般的に言えるのではないかと思います。

今年は狂い咲きが目に付きます。それも例年よりも意識して観察しているからかもしれませんが、コスモス、キリン草など。桜も例年になく鮮やかだったと聞きました。
先日、十月の半ば、郡山市の住宅街を散歩しているとイチジクの匂いが鼻をつきました。びっくりして振り返ると、そこにたしかにまだ青いイチジクの実が大きく膨らんでいました。
狂い咲き自体はめずらしいことではないと思います。タンポポだって実は一年中咲いているのを見かけることはよくあります。
けれどそれにしても、郡山の田園を散歩していると、そのあぜ道を見て今が秋なのか春なのか正直わからなくなってしまいました。まあそういうことも普段からママあるかもしれません。温暖化などで急激に気候も変化しているようですので。
けれど、三月の震災によって東日本から関東にかけて、地面が大きく揺さぶられました。地面に根をはる植物に影響がないはずがありません。なんらか変調があって当然だろうと思います。
ただ、そのこと自体は別に大したことではない気がします。自然の中では地震もあれば嵐もあって、それも営みだろうと思います。

しかし今回、放射能について考えながら山を見渡したとき、恐ろしく思ったのは、むしろ反対に自然への影響が目に見えないことではないかということです。
人間はもちろん放射能に対して、目に見えたり耳に聞こえたり触れたり匂ったりすることができません。同様にして山や木や草なども放射能を感知できないのだとしたら、それはある意味当然なような気もしますし、また改めてよく考えてみるととても恐ろしいことのように思えます。
少なくとも自分にとっては教科書のような存在である山でさえ感知できないものがある、それを人間が作りだしたということを、改めて恐ろしく感じました。

もちろん具体的な影響は時間をおいて真っ先に山や植物などに現れてくるのでしょう。
おそらく狂い咲きなどは放射能の影響ではなく、地震の影響だろうと思いますが、今後放射能の影響が時間をおいて現れてくるのでしょう。
そのことを思うと、また、そういう山を頼りに生きている人たちのことを思うと、胸が痛みます。

 

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震災後、今現在の自分の回答です。

2011.12.25

 

震災後、今現在の自分の回答です。

60年代後半から70年代にかけて世界を旅していた写真家の藤原新也は80年代に日本に帰ってきたとき、
こんなふうなことを言っている。

旅にでたとき、日本は怒っていた。
そして帰ってくると、日本は笑っていた。

藤原新也が日本を飛び出した頃、日本は日米安保闘争のただ中で、若者は学生運動に傾倒していたらしい。社会の欺瞞に正面から怒りを燃やし闘っていた。
彼らはいわゆる団塊の世代。

ところが闘いは敗北。
社会はそのまま高度経済成長の追い風に乗った。

僕はその経済成長の象徴的イベント大阪万博の年に生まれた。

当時、物心つく頃、耳に入ってくる音はどれも暗かった。
音楽でもドラマでも、子ども向けのマンガアニメでも暗く、なにか怨念めいた印象が今でも残っている。

けれど80年代に入り、その雰囲気は反対に妙に明るくなった。
「シラけ」という言葉が流行して、真面目なもの、人を笑う空気が充満していた。

団塊の世代というといろんな話題がついてくる。
安保抗争もそうだけど、そのほかにフォークブームやフラワームーブメントなど。
当時、髪の毛を伸ばしていた大学生が就職をして、髪の毛も切ってサラリーマンになるわけだけど、80年代の雑誌やテレビやらでは、そういう転身を遂げた”ちょっと昔の人たち”がよく冷やかされていた。

彼らにはファッションだったんだろう。
かぶれたんだろう。で、ブームが去ると恥ずかしさだけが残った。

当時の若者は権力に敗北した。

で、シラけた。

その風潮のまま日本は90年代にバブルがはじけ、20年間不況のまま今年、震災を経験した。
日本は経済的、人道的に大きな負債を抱え、また世界も市場経済は行き詰まっている。

大きな転換期。震災を期に、腐敗した権力構造がはっきりと見えるようになった。
今まで目をつむって忘れていただけの溜まった夏休みの宿題にいよいよ直面した。
問題は大きい。

社会は権力に負けたままなんだと思うんです。

震災を期に、自分も発言していくことを選んだ。
ほんとうなら、人にとやかく言うことなどなにもないと思っている。
けれどこの緊急時、どうも各自が普段思っていることをきちんと発言していかないといけないねと感じる。

各地でデモなどが多発している。みんなが真剣に考えているからだろう。ネットを通じての呼びかけ合いも活発。
で、気になるのがかつての学生運動。

それは社会に対する確かな危機感の表現でもあったと思うけれど、同時に残念ながら多くの人にはファッションでもあった。敗北が目視できた時点で、多くの人が闘争から身をひいてサラリーマンになった。

権力ー。

保育園児でさえ権力抗争はある。
力の強いものが弱いものを押さえつけ従えて砂場を占領する。
なぜか強いものになびくのがいる。それで権力構造が生まれる。

どうしたら権力はなくなるんだろう?

よく考えるやり方が、一人や二人がなびかなくても困らないが、みんなでなびかなくなるとどうなるか。そんなわけで”団結”。

一人じゃなにもできないけれど、みんなが力を合わせれば!というのは分かるのだけど。

団結もひとつの権力じゃないのか?

そもそも団結する必要があるのか?

団結することに異論はない。一人ひとりが真剣ならばね。
問題は一人ひとりの心の内だよね。

ほんとうは徒党を組む必要なんかないね。
社長があんまり悪いことするっていうなら、社員はみな辞めればよいのだからね。
こんな悪いとこで働けるか!ってね。

秘書も、専務も部長も、奥さんも、社長それはないでしょ?と言えばよい。
みんなの習った道徳にそれほど大差ないこの国で、それができないはずがない。

けれどそういうわけにはいかんのよねって言うんよね。

でもやっぱり。
だからといって変革は団結して!ではなくてやっぱり個人の気持ちの改革だよねと思うんです。おまえそれあかんやろう?いくらなんでも酷すぎるやろう?というようなことはみんな一人ひとりが言えばいい。

そこは自分ひとりで。

部下に上司に友だちに家族に。
それで済むんだから。ま、ある程度。

そこに根本の原因があると思うのです。
それは言わば、”誇り”の問題なんだろうな。

いくらなんでもそれはないやろう?ということにはNOと言う。
一人ひとりが。ある程度。
そういう気持ちがみんなにあれば、団結なんてわざわざそんな。

みんなある程度誇りを持って生きていこうよ、というようなことが仕事仲間の間だけにでもあれば十分社会は変わるんだと思うんですよね。

イメージをね。
そういうことを伝え合うことなんだと思うんです。

 

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人権の問題として考えてみる

2012.07.02

 

人権の問題として考えてみる

福島の友人たちが、屋外で満足に遊べない子どもたちのためにインドアパークを作ろうとがんばっています。
募金を募ったり、役所にかけあったりして、地元住民が自力でなんとかしようと奔走しています。
(詳細はこちら→http://fw-p.jp/indoor/indoor_fukushima/)

けれど本来なら、これは国がまっさきに着手すべき案件です。
なぜなら、国は国民の基本的人権を守らなければならないからです。

震災後、原発事故後、僕たち日本人が直面したことはなんだったでしょうか。
環境問題、エネルギー問題、利権の問題、、いろんな問題に直面することになりました。

けれど、これらの根底にあるのは、人権の問題ではないでしょうか。

だれでも等しく健康に暮らす権利を日本国民は有しているはずですが、それを遵守すべき行政は、その責任を果たしていません。

僕には、沖縄で基地問題に直面させられている友人もいます。
沖縄本島北部では、米軍のヘリパッドの建設が住民の同意なく進行しています。
(詳細はこちら→http://takae.ti-da.net/))

福島と沖縄、なにか同時に、同等に配慮するイメージを自分なりに持てないものかと探していましたが、僕は「人権の問題」として考えるようになりました。

福島も沖縄も、市民が安心して暮らす権利を阻害されているというイメージは、僕のなかで両者を強く結びつけました。
同時に、そのイメージは二県だけでない、自分の地域にも大いに関係する問題としても捉えられるようになります。

震災後、国の権力構造はすっかり可視化されました。
インターネットの情報網、そしてSNSなど双方向なコミュニケーションの発達のおかげだと思います。

かつて僕たちは、国政から取り残されていました。
権力を持たない市民はひとり一人が分断され孤立していました。

けれど、インターネットによって、SNSなどの環境によって、市民同士の結びつきが進みました。
そう実感する人は多いと思う。

昔からある署名活動そのほか、小さな点を線に、面にする活動が、ネットによってスピーディかつ手軽に行われています。
市民同士がつながり、無視できない大きな力を持ちつつある。
もちろん弊害を抱えつつも、その動きは加速しています。

これは新しいかたちの市民運動だと思います。
新しいかたちの”革命”だと思います。

先日、大飯原発は再稼働の判断が国によってなされましたが、市民は敗北したのでしょうか。
大局を見れば、この結果は市民運動の潮流の勢いを萎ませるどころかさらに加速させるきっかけになるのではないでしょうか。

福島、沖縄の問題は、他県の人間にとって対岸の火の粉ではありません。

原発の問題、基地の問題を引き起こしている根本は、僕たち日本人全体の生活を脅かすものとおそらく同じものです。

たとえば、長年の国の財政危機は、市場経済の矛盾が大きな原因ですが、それを補填しているのは実際には国ではなく市民です。権力のない一般市民です。

国政を左右するのは法律、法制です。

そしてその法律は、一部の権利団体のために利用されている状態です。
そのため市民は「法律だから」ともっともらしく、一部の権利者の利益追求に手を貸し、その失敗を補填する立場に否応なく追いやられています。

ネットワークの発達が可視化させたのは、権力構造とともに現行の民主主義体制の矛盾でもありました。

そして、ネットワークの発達は同時にこの現行の民主主義体制を変えることにも働こうとしています。
ごく一般的な市民の力が法制を変え、行政を変え、国政を変える可能性を持ちはじめています。

今はまだそう意識できる人は少数派かもしれませんが、意識は伝え合うことで伝達されます。
僕たちは、以前よりもずっと簡単に、世界中の人と伝え合う関係が築けるようになりました。

福島、沖縄の問題は、人権の尊重を第一に考えれば回避不能なことばかりではないと思う。

そして、人権の問題として考えることは市民全体を結びつける強い動機にもなると思います。

原発の問題も、基地の問題も、人権の問題だと考えれば、それは決して対岸の火の粉ではありません。

僕たちは自分たちの人権を守るために、いま協力し合うことができると思います。