Message 1

2011.03.14

 

被災者の方々へ

とにかく一刻も早く、水や食料、ガソリン、毛布、薬、その他の生活必需品が

届けられるよう尽力し、働きかけます。自分には政治家のみなさんやレスキュー隊の

みなさんのような力はないのですが、必ずなにかできることがあると信じ、自分に

与えられた役割を考え、行動していくことを約束します。

被災しなかったものたち全て、心はいつもみなさんとともにあります。

どうか、この災害を乗り越える助け合いの輪の中に、自分が加わる事をお許しください。

Message 2

2011.03.14

 

1)

マスコミは被災地の映像やドキュメントばかり流しているが実際に僕たちが欲し

いのはそんな映像でもお涙頂戴映像でもない。

「放射線対策には手洗い入浴着替え」そんな情報いらないんです!手洗い入浴が

出来る水も、外出のたびに着替える衣服も、もうどこにもないんだから!

移動手段がなく、避難場へすら行けずに孤立している人はどうなるのか?今現地

の被災者はどうするべきなのか、今後どうすればいいのか、全く指示がありません!

先程も原発3号機で爆発がありました 仮に要避難の区域が広がったとして、一

般車のガソリンの補給が出来ずに道路が寸断されているこの状況で、一体どう

やって避難すればいいのか?

一軒一軒の間にもかなり距離があり、ガソリンが尽きたら家単位で完全に孤立し

てしまう高齢者が続出します 地区ごとの助け合いは盛んですが、今の状況では

いずれ限界が来ます!

最寄りのコンビニまで徒歩だと1時間以上かかることも普通にあります。道が悪

い上に年寄りが多く、みな徒歩での移動が困難です。苦労して店まで歩いて行っ

ても、もうどこにも十分な水や食糧はありません。

市内は緊急車両への給油すら不足し始めている状態で、地域差はありますがガソ

リンの確保が非常に困難になっています。今一番必要なのはどこに何時に行けば

炊き出しがあるのか、確実に水がもらえるのか。テレビに映る避難所に避難でき

ている人たちはほんのごく一部です。

お願いだから必死で生きようと助かろうと頑張っている人達のためにそういう情

報を流して欲しい。

ありがたいことにこの家には水は出ませんが電気はきています。この携帯もいつ

繋がらなくなるかわかりません。だけど今この携帯は自分たちにとって生き抜く

大切な情報源です。みんな貴重な充電を必死になって情報収集にあてています。

お願いです。マスコミの方々、テレビが入れない被災地も沢山あります。必死で

生きようとしている人達に本当に必要な情報をお願いします。

2)

細美さん、はじめまして。

今回の被災地である福島県いわき市四ツ倉の出身です。

両親・親戚・友人が今も被災地で頑張ってます。

友人は原子力発電所に勤務しています。

私の出身高校は双葉高校で被爆者が発見された場所です。

原発の周りの地区に私の友がたくさん居ます。

連絡が取れないため、無事を祈りながらメールを送り続けています。

実は昨日まで両親が東京に居ました。

被災してから食べ物も食べられず、12時間かけて福島から来ていました。

本人たちから直接いろいろ聞きました。

我が家は海の目の前です。

地震発生から津波到着まで体感時間30分。

地震の直後母は外に飛び出し、『みんな大丈夫ですか!』と大声で叫んだそうです。

近所の人たちが『大丈夫です!』と返答してくれたのを聞いて急いで家に戻り、

貴重品を袋に詰め、犬たちに首輪とリードを着けました。

父は会社から戻る途中に隣の家の老夫婦に『いったん家に戻ったら、迎えにくる

から』と声をかけてから家に入りました。

両親はお互いに声を掛け合い、父は隣へ、母は台所へ向かうと母がカサカサ、サ

ラサラという妙な音に気づき、『要さん!津波だ!上に登って!』と叫んだそう

です。

そのときにはすでに水が来ていて、父は急いで戸を閉め、母と犬を抱えて2階へ。

二階から近所に『津波だ !』と叫んだそうです。あっという間に一階は水で埋

め尽くされ、死を覚悟したそうです。

夜になり、津波は収まったがなかなか水は退かず、近所同士でお互いの生存を確

認し合っていると、隣の老夫婦の返事がなかったそうです。両親や近所のみんな

で『佐藤さん!佐藤さん!大丈夫か!』『頑張れ!』とずっと声を掛け合ったそ

うです。離れて住んでいた娘さんとお孫さんも金属やガラスなど危険物を含んだ

腰以上ある水をかき分けてやってきて、『お母さん!戸を開けて!』『どこにい

るの!』『もうすぐ助けるから!』とずっと叫んでいたそうです。

消防士さんたちが到着し、窓ガラスを割って侵入。第一声は『二名生存者確認!』

みんなホッとしたそうですが、数時間後お亡くなりになりました。

収容できる病院が無かったそうです。

眠ることも出来ず、寒さに凍え、地震と津波に怯えて夜を過ごしたそうです。

父が言うには『玄関を出るのが10秒早くても、10秒遅くても死んでいただろう』

ということです。

次の日、水が引き、我が家は奇跡的に玄関から外へ出る事が出来たので行くと、

ホームセンターが丸ごとなくなり、車やバイク、家の残骸や泥が見渡す限りあっ

たそうです。人が歩けるような道はなく、もちろん車も通れません。

犬をつれて会社まで行くと、奇跡的に会社は無傷だったそうです。

父の車も車検に出していたため無事でした。

知り合いの方が車を届けてくれると、すぐに食料や水を探しに行ったそうです

が、何もなかったそうです。

車て知り合いの安否を確認しに回ったそうです。

途中でお亡くなりになった方の搬送場面に遭遇したそうです。まだ若い方で建物

と壁の隙間に挟まって亡くなっていたそうです。

食べ物も飲み物も手に入らない。それならば子供たちのいる東京に行って買って

こよう!と考え、12時間車を走らせて東京に来たそうです。

しかし東京でもパニックのため、缶詰や給水タンク、懐中電灯、ラジオが不足し

て手に入りませんでした。

津波のせいで道路が荒れているため、救助隊はまだ到着出来ていません。地元の

消防士さんや警察官が手探りで救助や捜索をしています。

避難所では夜はおにぎり一個、朝は菓子パン一個、少量の水の支給だと聞いてい

ます。

暖をとるものもなく、夜は凍えているそうです。

避難所に避難するため、ペットを家に残して行くそうです。

父母には出来る限りのことはしたつもりですが、車いっぱいの荷物を買ってあげ

る事しかできませんでした。

引き留めようとすると、『従業員や近所の人が頑張ってんだから、私達もできる

限り頑張らないと!』と笑顔で言われてしまいました。

でも時間が経つほどに引き留めるべきだった、もっと欲しいものをどんな事して

でも探して買ってやれば良かった、あんなに危険なところになぜ送り出してし

まったのかと、後悔ばかりしてます。悔しくて、情けなくて、力がなくて、申し

訳なくて涙ばかり出ます。

現地に行けるようになったら、すぐに行こうと思ってます。

それよりもまず、ライフラインの復旧と荷物が送れるようになることを切に願っ

ております。

それから、現地の人は情報が不足しています。電気が通って無いため、携帯を充

電できなかったり、ラジオの電池が切れてしまったり、もちろんテレビは映りま

せん。

両親が東京の方が詳しくわかると言うほどです。

この現実を一人でも多くの人に知って欲しくてメールさせていただきました。こ

んなこと細美さんにメールするのは筋違いなのはわかってます。でも少しでも力

になって下さろうという方に現実を知って欲しいと思ってしまいました。すみま

せん。

余談ですが、東京に来る直前、瓦礫だらけの道路の真ん中で幼なじみのお父さん

に会ったそうです。

お互い生きていたことを喜んだ後、父が『大切なものしか持ち出せなかった

な。』と言ったら、おじさんが『何持ち出したの?』と聞いてきたそうです。

父は持っていたバッグのチャックを開けてみせると、缶ビールが入っていました。

二人で声を出して大爆笑したそうです。

『トシオさん、こんな時だからこそ笑おう!』

『要さん、俺らは何が何でも生きていこう!』

とお互い言い合い、別れたそうです。

こんな父が私は好きです。

Message 3

2011.05.09

 

少しだけ先の話をさせて。 ボランティアの募集が始まり、俺たちがみんな参加して、 邪魔だと言われればすぐに帰ったり、また行ったりするようになる。 緊急の仕事なんてものがそもそもないアーティストは みんな荷物を運ぶのを手伝うだろうと思います。 ギターはそのときは邪魔だから持って行かない。 それでも歌は歌えると思う。 そしてある日、みんなの生活が元通りとはいかないまでも、 はっきりと出口が見える頃には、 きっといまよりずっと暖かくなっていると思います。 そのとき俺たちはツアーに出ます。 東北を中心に、いっぱいいっぱいまわります。 歌うところはどこでも構わない。 そのとき俺たちはみんなを絶対に笑顔にしようと思います。 アーティスト仲間からの電話を切る時の挨拶は 昨日から自然と「がんばろう」に変わりました。 今までみんなから受け取った愛情は、いくら返しても返しきれない。 今は奥歯が割れるほど噛み締めたって、 必ずまたみんなで笑って集まろう。 絶対また笑う日がくる。 俺はどうしたってもう一度、笑顔のあなたに会いたいです。